5月26日に今シーズンで引退の意向を伝えた、宮里藍が29日、13時より、都内のホテルで、本人による引退発表を行った。
インタビューの全ては下の動画をご覧ください。
以下は、インタビューの一問一答の概要です。
まず、最初にテレビを代表してフジテレビから質問です。
-引退表明をしてどんなお気持ちですか
宮里 まだシーズンが残っているので、自分の気持ちとしてはまだまだこれから頑張りたい。これで終わりという気持ちではないのですが、ファンの方や友人、たくさんの方に声をかけて頂けて、胸がいっぱいです。
-引退の理由は
宮里 モチベーションの維持が難しくなったというのが一番の決め手なんですが。それを感じたのは4~5年前からです。自分の中でもどう消化したらいいか、手探りで進むしかない状態でした。
メンタルコーチに相談して、いろいろな選手にそんな時期があるからもう少し頑張ってみたらいいんじゃないかと言われて、チームでもそういう方向で話がまとまっていました。しかし、3,4年頑張っていたのですが、それが戻ってこなければどうしようもないのです。
自分の中でメンタルを戻せるように頑張ってきた。今までやれていた練習ができなかったり、トレーニングでも自分を追い込むことができなかった。
プロである以上結果は残したいですし、自分が望んでいる形、求めている理想としている姿は、そこにはなかったので、こういう結論になりました。
-世界に挑戦し続けましたね
宮里 思わぬ形で世界1番になれた。年内に、まだ米メジャーに挑戦するのが残されている。逆に今年は1年という期間を決めたことで頑張れている。
すごく今はモチベーションがある。年内のチャンスは生かしたい。
-中京テレビ・ブリヂストン・レディースでは6連続バーディーもあった
宮里 1試合でも多くいいプレーをして、恩返しをしたい。手応えはシーズン初めから感じていました。やっと、みなさんにいいプレーが見せられた。良かったです。
-引退ではなく、休養という選択肢には
宮里 今のところ、それはないです。第一線で結果を残すにはすごいエネルギーが必要。プロである以上、甘い世界ではない。それを考えた上での今回の結論。今のところそれ(休養)はない。
-電撃復帰はありますか?
宮里 100%ないと、今は思っている。自分にいろんなことができる可能性があると思っている。4歳からゴルフを始めて、20年以上、ゴルフを通じてたくさんの方にお世話になった。違った形で恩返しをしたい。
-どんな14年間でしたか
宮里 思っていた以上の結果。これ以上ないゴルフ人生だった。引き際の寂しさよりも、こんなにたくさんの人にサポートして頂いた感謝を胸に残り戦えるのは幸せ。それをかみしめています。
-仲間からはどんな言葉をもらったか
宮里 後輩からも「寂しい」という言葉をもらった。後輩、友人、家族、決めたことを支持してくれて、暖かく受け入れてくれた。
-家族にはいつ伝えたのか
宮里 昨季のエビアンマスターズを終えて、2人(両親)には伝えた。驚きもなく、自分が幸せだと思う道を歩みなさいと言ってくれた。兄2人も同じでした。
-今後の残りシーズンは
宮里 今のところ決めていないです。最後の試合は確実にこれとは決めていない。エビアンマスターズまではアメリカでしっかり戦いたい。自分がプレーできるチャンスがあれば(日本でも)したいです。(6月の)サントリーは最後というより、一区切りにしたい。
-第2の人生は
宮里 そこも具体的には決まっていないのが現状。そこのはざまで、悩んだ。次、自分が何をするか。自分に何ができるかを改めて(引退後には)考えていきたい。
-結婚は
宮里 それは今のところはないです。
-子供ができたらゴルフをさせますか-
こういう環境だったら、ゴルフはさせるのでは。
子供と楽しくやれたら良いですね。
-一番思い出に残った試合は
アマチュア優勝した宮城テレビ杯と、エビアンマスターズの初優勝です。
新聞社の代表質問
-日本中が引退発表の時、驚いたが
宮里 アメリカツアーの選手からも直接、連絡をもらいました。いろいろ考えて、このタイミングになった。シーズンが終わってからみなさんに発表しても良かったが、1試合でも多く自然体で臨み、それが優勝につながればいいと考えました。日本の試合に出るのは(もう)少ない。みなさんに(引退を)伝えて、たくさんの方が見に来てくだされば、それはすてきなことだと思いましたので、このタイミングの発表になりました。
-まだまだやれると思っている人も多いが
宮里 そう言って頂けるのはうれしいが、戦い続けるのは、今の自分には足りない。プロとして結果を出すのは、今、モチベーションがあるのは期間限定です。(引退を)決めたことで(モチベーションが高く)プレーができていると思っています。09年に勝って、プロゴルファーとしてピークを迎えている自負があった。それなのにメジャーで勝てない。1番いい時にメジャーで勝てなければ、次はどうしたらいいのかを考えて(自分を)見失ってしまった。どう立て直したらいいのか。そこが1番難しかった。アメリカツアーは移動も多く、芝も、天候も変わる。いろんな引き出しを作るのに、私の場合は時間がかかった。1度、自分が分からなくなった時があった。今まで戦えていたのに、戦えなくなる。武器が、武器でなくなっていた。
-自分に向き合えなくなった具体的なきっかけは
宮里 12年の全てのメジャーを終えた時でした。メンタルコーチと、初めて話したのは、その後のカナダでの試合でした。そこで初めて、自分の中で次、何を目標にしたらいいか話をした記憶がある。メンタルコーチは「焦らなくてもいい。どの選手にも1度はある。模索してもいい」とアドバイスを頂いた。どうしていきたいか探す最中に、パターがイップスになってしまった。パターが得意だったので、どうにか乗り越えて終わりたいと思っていました。最終的に(全ての苦難が)優勝につながってくれればいいと思う。ゴルフは不思議なもので、調子がいいからといって結果が出るものではない。前回の中京では自分が思い描いていたものが出せた。
-これから世界に挑戦していく人たちに一番伝えたいことはどんなことでしょう
アメリカツアーは移動も多いですし、芝のコンディションも毎週変わって行って、専攻方法も変わって行くので、いろいろな引き出しを作って行くために、どれだけ忍耐強く自分自身と向き合えるかということだと思います。
今まで戦えていたものが戦えなくなる。今まで、武器だったものが武器でなくなるという瞬間が出てきてしまうので、そこで自分と向き合うというのを頑張るのがエネルギー的に良い方向に向かったと思います。
-お父さんに伝えたいことは
宮里 家族では、ゴルフを始めたのは実ははなんですが、父はコーチとしても、たくさんケンカをした。素直じゃない私に、歩み寄ってくれた。本当に両親には感謝の気持ちしかない。ありがとうございますと伝えたい。
-座右の銘は
宮里 意思ある所に道は開ける。この座右の銘はこれからも大事になると思います。本当にプロとして強くなりたい。ジュニア時代からそう思い続けてやってきましたし、それが形になった。今後については自分の気持ちに正直に、やりたいことを模索していきたい。(引退後の)次の意思は固まっていないのですが、それでもいいのかなと思っています。
-昨夏に引退を決断したきっかけは
宮里 8月くらいに3週間くらい時間をもらえた。自分の気持ちについて考える期間が、初めてもらえた。今までモヤモヤしたまま、試合をこなしていかなければいかず、それが難しかった。その3週間の(休養の)タイミングで、自分の中でしっかりと考えることができた。